ホーム > 【木村太郎さん特別寄稿】 その2
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まだ空母ミッドウェイが横須賀を基地にしていたときのことだから、1992年以前の話だ。
クルージング・ヨットが東京湾へ向けて航行中に、正面からミッドウェイが現れた。見合い関係だから、ヨットはミッドウェイの右側へ向きを変えた。しかし、ミッドウェイの巨体はそうは簡単に曲がらない。ぐんぐんとヨットに迫ってくる。 この時、ヨットにはVHF無線機があったのでダメモトでミッドウェイに英語で交信を試みた。 「こちらヨット○○、ミッドウェイあなたの12時付近に確認できますか」 すると、ミッドウェイから回答があった。 「こちらミッドウェイ、ヨット○○を確認しています。そちらが帆船で航行上の権利があることは十分認識していますが、もしかしてそちらが風下側に反転して避けていただくことはできないでしょうか」 そこでヨットのスキッパーは思いついた。 「了解しました。風下側に反転しますが、それにはスコッチ一本を必要とします」 「ミッドウェイ了解しました。感謝します」 ヨットはジャイビングをしてミッドウェイの航路を離れ、何事もなかった。 それから、ひと月余りたってヨットに乗っていた人たちもこのことを忘れた頃、ヨットが所属するマリーナにスコッチ・ウィスキーが1ケース届いた。差出人はミッドウェイの艦長だった。こちらの艇名も名乗らなかったが、セール番号などからつきとめたのではないかと思われた。 という話が相模湾のヨット乗りの「古老」の間で語り継がれてきたが、その真偽のほどは定かではない。しかし、横須賀基地にはヨットクラブがあって、日本のヨット乗りたちとも交歓があり米軍の艦艇にも親近感のようなものを持っていたようだ。 この米海軍との関係は今でも続いており、お互いのヨットクラブに招待してセーリングをしたりバーベキューパーティを開いて交歓をはかっている。しかし、同じ横須賀にある海上自衛隊がヨットクラブと同様の近い関係にあるという話は聞いたことがない。 今度の<あたご>の事故については。海上衝突予防法など法的な責任は今後明らかになってゆくだろうが、いちばん問題なのは漁船が自衛艦の間で意思の疎通が皆無だったことのように思う。 おそらく、それは自衛艦が日頃から「そこ退け、そこ退け」で航行していて、漁船など小型船が不信感を抱いていたことがあるように思う。 〜 3回連続でお送りしてきた当コラムは今回で終了となります。 〜 |
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